少年ジャンプ本誌で連載の「逃げ上手の若君」 最近のジャンプ系では珍しい、歴史モノの作品。
2024年にTVアニメ第1期が放送され、第2期の制作も決定。アニメ化で人気が増したのは間違いない。
集英社も、「第2の鬼滅」を目指すべく、力を入れている(はず)。
同作品キッカケで、北条時行の存在や室町時代成立の南朝時代の頃を知って、興味を持った人は多いはず・・・
特に、若さまの最後がどうなってしまうのかが気になる・・・
アニメの方は、結構、作画やキャラデザも良くて、若様も可愛いww
アニメ1期は、原作漫画の序盤で終了。足利方と本格的に戦う以前で終わってしまったので、2期以降が本番。
北条時行の生涯と最後、墓は・・ 享年25歳
この時代の史料は、軍記物「太平記」が有名で、「太平記」や「梅松論」に、時行さんや諏訪頼重さんの事が記述されている訳ですが、太平記は軍記物語なので、割と誇張した表現が多いとも言われている・・
話としては、かなり盛っている可能性はあるというが・・
北条時行さんがやった事は、ざっくり言うと、鎌倉幕府滅亡後、1335年に「中先代の乱」を起こし、鎌倉の街を一時支配をしたという事。
そして、20年以上、足利方と戦い、合計3回、鎌倉を奪取する。
1回目の鎌倉入りを果たした「中先代の乱」の時は、結局、足利尊氏の軍による鎌倉攻めに敗退。時行さんが鎌倉を占領していた期間は、わずか20日程度だった模様・・・
そして、足利尊氏が、鎌倉を取り戻した同日に、諏訪頼重ら、主だった大名43名は、鎌倉の大御堂で自害。この時の時行の年齢は推定7歳で、何とか落ち延びている・・
中先代の乱で敗れた、時行及び北条一族は、太平記によると、その後、後醍醐天皇に使者を出し、足利尊氏討伐に加えて欲しいと嘆願。後醍醐天皇の許しを得て、南朝入りする・
元々、後醍醐天皇及び南朝方は、鎌倉幕府を滅ぼした仇敵で、いわば、父親(北条高時)の仇だったはずが・・?
その辺の若さまの心境はいかに?
それだけ、足利兄弟(尊氏&直義)に対する積年の恨みがあったという事か・・?!
1352年、時行さん3回目にして最後となる鎌倉入り。ただ、占領期間はわずかな日数だった・・
1353年、これまで何度となく逃亡・潜伏を繰り返していた時行はついに足利方によって捕らえられ、鎌倉郊外の龍ノ口にて処刑される・・・享年25歳(推定)
因みに、足利尊氏さんが亡くなるのが、1358年。
長野県大鹿村に伝わる北条時行の墓
時行さんの墓と言われているモノがコチラ。
長野県大鹿村の桶谷地区には時行が潜伏したとの言い伝えが残っている。
アニメのEDでも、この墓が一瞬、描写されてますね。
史実では、時行さん、足利方に敗れ、波乱の人生に幕を閉じる訳ですが、「逃げ上手の若君」の方は、どう〆るのか・・?
史実どおり、死亡エンドとするのか? それとも、最後まで生き延びて、少年漫画にありがちな「俺達の戦いはこれからだ!」的な終わりにするのか・・??
もしかしたら、若さまの部下である、風間玄蕃が、得意の変装で、身代わりになって処刑されるとか・・?
諏訪頼重さんの最後 顔の皮を剥いで自害・・
「逃げ上手の若君」の主要キャラの1人である、諏訪頼重。
信濃の領主であり、諏訪大社の神官のトップだった人物。
アニメ第1話の鎌倉落ちで、若さまをおぶって逃げるシーンが印象的ですが。。
この抱きつくシーンで、ちょっと、ショタコンに目覚めしまいそうにww
時行&諏訪頼重は、信濃を拠点に、挙兵し、「中先代の乱」を起こす訳ですが・・・
前述のとおり、足利尊氏の鎌倉攻めにより、敗北。
諏訪頼重ら大名43名は、1335年5月19日、鎌倉の大御堂で自害。
「太平記」には、「顔の皮を剥いで、誰が誰かわからない状態だった」と記述されているという・・
敵を欺くための方法だった模様。
漫画の方でも、その記述どおりに・・・
なかなか、ショッキングな最後となりました。
このシーン、アニメでもやるのでしょうか・・?
【詳細(バルクオム)】